AIを拒んだ60代社長が、息子の一言で会社の未来を考え始めた日
岡田テック株式会社は、北陸にある金属部品メーカーである。
年商29億円。
社員数45名。
創業から数えると、もう半世紀近い。
大手メーカーとの取引もあり、毎月の仕事もある。工場には機械が並び、朝になれば社員が出社し、夕方になれば出荷のトラックが動く。
外から見れば、順調な会社だった。
「岡田さんのところは安定していていいですね」
同業の会合に出ると、岡田信三社長はよくそう言われた。
そのたびに信三は、少し笑って答えた。
「いやいや、うちなんてまだまだですよ」
口ではそう言いながらも、心のどこかでは思っていた。
うちは大丈夫だ。
派手ではないが、堅実にやってきた。
社員もいる。取引先もある。利益も出ている。
これまでのやり方は間違っていなかった。
しかし、60代に入ってからだった。
信三の胸の中に、言葉にしにくい重さが残るようになった。
会社は回っている。
だが、前に進んでいる感じがしない。
会議を開いても、幹部は黙っていることが多い。
若手に意見を聞いても、「一度確認します」と返ってくる。
現場で問題が起きると、結局最後は信三の判断になる。
営業の相談。
製造の段取り。
納期の調整。
クレーム対応。
人の配置。
設備投資。
全部、最後は社長に来る。
会社は45人もいるのに、なぜ自分一人で背負っているような気持ちになるのか。
信三自身にも、うまく説明できなかった。
そんな中、大学を卒業した息子の太一が、岡田テックに入社した。
最初はうれしかった。
言葉には出さなかったが、本当は胸が熱くなるほどだった。
自分が守ってきた会社に、息子が入ってくれた。
いつか、この会社を任せられる日が来るかもしれない。
そう思っていた。
ところが、入社して半年、一年と経つうちに、太一との会話は少しずつ減っていった。
朝、事務所ですれ違っても、
「おはよう」
「おはようございます」
それだけ。
昼休みに顔を合わせても、太一はパソコンを開いたまま、何かを調べている。
以前のように、仕事の話をしてこなくなった。
信三は気づいていた。
息子は、何か言いたいことがある。
だが、それを飲み込んでいる。
二カ月ほど前のことだった。
夕方の事務所で、太一が珍しく信三に話しかけてきた。
「おやじ、少し話していい?」
信三は書類に目を落としたまま答えた。
「なんだ」
太一は少し間を置いてから言った。
「うちも、AIを使った会社の仕組みづくりを考えた方がいいと思う」
信三は、顔を上げた。
「AI?」
その言葉を聞いた瞬間、信三の中に小さな苛立ちが走った。
最近、どこに行ってもAI、AI。
テレビでも、新聞でも、会合でも、若い経営者たちも、みんなAIの話をしている。
だが信三には、どうにも軽く聞こえた。
画面の中で文章を作るもの。
若い人が使う便利な道具。
本当にものづくりの現場で使えるのか分からないもの。
そんな印象だった。
信三は太一の話を最後まで聞かずに言った。
「AIなんてしなくても、うちは十分利益が出ている。まずは現場を覚えろ」
太一は、一瞬だけ信三を見た。
何かを言い返しそうになったが、結局、言わなかった。
「分かった」
それだけ言って、太一は席を立った。
その日からだった。
太一は、仕事の話をほとんどしなくなった。
信三は、少しまずいことを言ったかもしれないと思った。
しかし、父親として、社長として、すぐに謝ることはできなかった。
自分が間違っているとは思いたくなかった。
岡田テックは、今までこのやり方で会社を大きくしてきた。
朝早くから現場に立ち、取引先に頭を下げ、難しい注文にも応えてきた。
社員を守り、設備を入れ、借入を返し、ここまで来た。
その積み重ねを、AIというよく分からない言葉で否定されたような気がしたのだ。
そんなある日、業界団体の会合があった。
一年前なら、話題は原材料費、人手不足、電気代、価格交渉が中心だった。
しかし、その日は違った。
「うちはAIで見積のたたき台を作らせている」
「議事録はもう社員が手入力していない」
「若手がAIを使って改善提案を持ってくるようになった」
「採用の文章もAIで変えたら、応募者の反応が変わった」
信三は、笑ってうなずいていた。
だが、心の中では落ち着かなかった。
そして、もう一つ気になることがあった。
田中社長である。
TANAKAコーポレーションの田中社長は、二年前まで本当に苦しそうだった。
資金繰りが厳しい。
人が辞める。
単価が上がらない。
設備の更新もできない。
会合に来ても、いつも疲れた顔をしていた。
ところが最近、その田中社長の顔色が明らかに良くなっていた。
声に張りがある。
社員の話を楽しそうにする。
新しい部品の開発の話までしている。
信三は不思議だった。
なぜ、あの会社が変わったのか。
会合の帰り際、同業の山田社長に聞いてみた。
「田中さん、最近ずいぶん元気だな。何かあったのか」
山田社長は、少し声を落として言った。
「岡田さん、知らないのか。田中さんのところ、二年前に思い切ってAIを入れたんだよ」
信三は眉をひそめた。
「AIで、そんなに変わるものなのか」
山田社長は首を横に振った。
「最初は大変だったらしい。社員も嫌がった。ベテランも反発した。田中さん本人も何度もやめようと思ったらしい」
「じゃあ、なぜ続けたんだ」
「もう後がなかったんだろうな。でも、今は違う。見積、顧客管理、製造指示、配送確認、改善提案。全部を少しずつ仕組みに変えたらしい。今では社員がAIを使って、高単価の部品提案までしているそうだ」
信三は黙った。
高単価の部品。
社員が提案。
配送まで仕組み化。
自分の会社でも、本当はやりたいことだった。
安い仕事ばかりを追うのではなく、技術力をきちんと評価される会社にしたい。
社員が自分で考え、取引先の困りごとを先回りして提案できる会社にしたい。
息子の太一にも、そういう会社を渡したい。
だが、信三は動けなかった。
田中社長をうらやましいと思う自分がいる。
一方で、今までのやり方を変えるのが怖い自分もいる。
変革などと簡単に言うが、会社には45人の生活がある。
失敗したらどうする。
現場が混乱したらどうする。
取引先に迷惑をかけたらどうする。
そう考えると、結局いつもの結論に戻ってしまう。
今はまだ大丈夫だ。
その言葉で、自分を納得させていた。
しかし本当は、分かっていた。
「大丈夫」と言っている時ほど、会社は変われない。
夜、信三は自宅に戻った。
夕食の席に太一もいた。
妻が何気なく言った。
「太一、今日も遅かったのね」
太一は短く答えた。
「少し調べものしてた」
信三は聞きたかった。
何を調べているんだ。
会社のことか。
AIのことか。
本当は何を考えているんだ。
しかし、言葉が出なかった。
食卓には、静かな時間だけが流れた。
かつては、親子で工場の話をした。
新しい設備の話。
取引先の話。
現場で起きた笑い話。
それが今は、同じ家にいながら、まるで別々の会社にいるようだった。
その夜、信三はなかなか眠れなかった。
田中社長の顔が浮かぶ。
山田社長の言葉が残る。
そして、太一が二カ月前に言った言葉が耳に残る。
「うちも、AIを使った会社の仕組みづくりを考えた方がいいと思う」
あの時、自分はなぜ最後まで聞かなかったのか。
AIが分からないから、話を止めたのではないか。
息子の考えを否定したのではなく、分からない自分を守っただけではないか。
信三は、布団の中で小さく息を吐いた。
年商29億円。
社員45名。
利益も出ている。
それでも、会社の未来が見えない夜がある。
社長という仕事は、不思議なものだ。
会社が苦しい時は、もちろん苦しい。
だが、会社が順調に見える時にも、別の苦しさがある。
このままでいいのか。
次の時代に渡せる会社になっているのか。
息子は、この会社に未来を感じているのか。
信三は初めて思った。
AIが必要かどうかの前に、
自分は太一の話を聞くべきだったのではないか。
会社を変える第一歩は、最新技術を入れることではない。
社長が、自分の知らないものを認めること。
次の世代の言葉を、最後まで聞くこと。
岡田信三はまだ、その答えにたどり着いてはいなかった。
だが、胸の奥で何かが動き始めていた。
岡田テックは、このままでいいのか。
その問いが、静かな夜の中で、何度も何度も繰り返されていた。
次回。
一枚の手書き指示書が、岡田テックを大きく揺るがす。
「うちは大丈夫」
そう思っていた会社に、取り返しのつかないミスが起きる。

